さて、唐突ですが私は長年にわたり、うすぼんやり中国語を学んでいます。
途中ガチ学びになったタイミングもありましたが、中国語学科の卒業というわけではないです。
直近5年はほぼ中国語を使う機会もなく、情熱も燃え尽きて、中国語に対する気持ちは灰のようになっていましたが、
親戚から今年秋に「中国の出張についてきてほしい」という仕事とプライベートの中間のような機会を与えられ、せめて一番できるようになったぐらいの時までは戻さないといけないな…と思い始めました。
ただし、一番できるようになった時でさえ、コミュニケーションがスムーズにとれていたかというと全くそこまでは伸びてません。
ですので、中国語学習に関して私が書く文章は「苦手なところから、語学をできるようになった私の勉強方法」というわけではなく、「中途半端に学んでしまった私がコミュニケーションを取れるようになるところまでアップデートできるようになるかな?」という話なのですが、その前に学習歴を遡ってみたいと思います。
ただ、自分の経験上一番最初の入りは良かった!という感想があるので(もちろんこれも人によって違うと思いますが)、それはこれから始める方への有益な情報になるかもしれません。
大学の第二外国語で中国語を選択する
選択の理由
さて、高校を卒業した後、大学に入ると「第二外国語の選択」が待っていました。
私がいた大学の学部で選択できたのはフランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語でした。
どれをやろうかなと思ったのですが、英語が苦手だったので他の系統のものがいいなというのと、
なぜか小さいころから中華圏の文化的物(なんかよく分かりませんが、色彩とか服装とか王朝とか?)に惹かれるところがあったので、中国語にしました。
日本人の先生に「真似して!」だけじゃない発音を叩き込まれるのが吉
授業は週2回(日本人の講師が1回、中国人の講師が1回)、それぞれ90分の授業でした。
さて、この時に担当してくれた日本人の先生が私にとってはすごく良かったのだと今でも思います。
この先生は発音の専門家で、最初の2か月、3か月間をかけて、ピンイン(中国語の発音記号)の読み方と発音を徹底的に叩き込んでくれたのです。
「こういう音ですよ、真似して」という事ではなく、口の中の形、外から見た口の形、舌をどこに置くか、どこに力を入れているか等、相当具体的なところまで分解して言葉で説明してくれました。
また、学生が発音すると、徹底的に直してくれました。
そして、それがある程度進むと、今度は毎回教科書の本文(もちろん初級なので本当に簡単なものです)を聞いた通りに発音して、文字とpinyinも聞いて書ける(いわゆる听写)をできるようになるまで練習させました。
そして、毎回教科書の一文のミニテスト(听写)をしました。
これがのちに発音でそこまで苦労しない(全然通じない事はもちろんありますし、そもそも発音も四声も忘れてめちゃくちゃな発音になることもありますが、正しい発音を聞きさえすれば自分自身である程度矯正できる)土台ができたのかと思います。
一方中国人の先生の方は、すみませんそこまで印象にないのですが、ごくごく一般的な外国語の授業という感じだったと思います。
文章を読んで訳してをするというような感じだったかな?
同じクラスを受けていた子の中には、この日本人の先生の授業がつまらないと思う子もいたみたいですが(発音ばっかり最初やらされるから)、
私自身はその後勉強を再開したときも、この時の経験が本当に良かったと心から思いますし、これから中国語を始める方にもお勧めしたいです。
そうやって1年間割と楽しく学んだのですが、その後2年目で必修でなくなった際に授業を選択するのを止めてしまいました。(楽しかったし続けたい気もしましたが、他に英語やゼミを決めるための授業など必要なことがあると思ってしまったから。この時続けていればよかった!)
中国語不勉強時代
その後、大学2年生以降は勉強したいなという頭がどこかにありながらも取り立てて積極的な勉強はせず、上海に旅行に行ったときにタクシーで「〇〇までお願いします。」「いくらですか?」と使って喜ぶぐらいの感じでした。
社会人になってもやはり英語の方が若干必要な場所で働いていたので、中国語いいなぁと思いつつ、やっぱりやりませんでした。
だからと言って英語を本格的に学ぼうとしたわけでもないので、結局何もやってないんですけどね。
20代の頃は「必要で確実にこの先につながる事じゃないとやる意味がない」という感じでいたので、本当に若かったなぁと思います。ただ好きで興味があることをやったっていいのにね。
30歳ごろ再度勉強を始める、週2回夜の語学学校
20代後半からついた仕事が私にとってはなかなかに大変で、心身ともにギリギリの毎日をすごしていたのですが、ある時ふっと仕事が暇になった瞬間がありました(ていうか普通に干されていた)。
その時になんか好きなことやろうかなと思い、やっと長年頭の片隅にあった中国語を再度勉強する事にしました。
この頃にはさすがに20代の頃の頭の固さが抜けていたのかもしれないですし、自分が仕事で色々うまくいかなすぎて「仕事に必要な事を勉強したところでどうせ私仕事できねーし」みたいに、やさぐれてもいたのかもしれません。
そこでどう勉強しようか考えてた結果、語学学校に自分を縛り付けてしまう事にしました。
ラジオ講座とか、かなり自由に時間を選択できるオンライン講座では絶対続けられない(なぜなら基本めんどくさがりだから)と思ったのです。
そこで、駅前留学的なところではなくガチの中国語の語学学校の夜間コース(と言っても週2日)に通い始めました。
そこで、1年半ほど勉強したところで、別の事を願うようになりました。
30代で中国へ留学(10か月間)
留学までの準備期間
学生の頃やってみたいと思いつつやらなかった、留学をしてみたい。
そして、キャリアを大きく変えたい(それまでの仕事が向いてなさすぎると思ったため)。
ちょっと仕事じゃない事をする期間が又ほしい。
ただ、薄給の都内一人暮らしだった私には留学に行けるほどの蓄えはありませんでしたので、色々とネットで調べたり、中国語関連の交流会に参加したりなどして手掛かりを探していました。
そうしたところ、中国政府が出資している奨学金が結構ある事に気が付き、これを目指せるのでは?と思い始めました。
その時おそらくすでに冬の足音が聞こえてきた頃で、だいたい奨学金の公募は2月頃にあります。
ここでも私の悪い癖(石橋をたたいて確実に行けると判断するまで動けない)が発動しています。
今思えばこの時ダメでも応募してしまえばよかった!(※なぜそう思ったのかは後に記載します。)
さらに次の年の奨学金を一発で仕留めるために、1年かけて計画を立てました。
勉強しつつHSKを定期的に受け、必要な書類(申請表や、学習計画表の内容)を準備していました。
HSKは結局5級まで取得し、申請表は必要な事を記載するだけなので特に工夫はないのですが、学習計画表は30代の自分がなぜ今更中国語を学ぶ必要があるのかなどを練り上げ、研究計画書などを書きなれている大学時代の先輩にも推敲してもらいました。
そしてそれらの書類を中国語に翻訳し、中国語の先生にも確認してもらいました。
そして、行きたいと思ってから1年半後、2018年の3月に奨学金を取れることが決まりました。
北京へ留学、しかし思ったより爆発的には伸ばせなかった
そして2018年8月から中国へ渡り、10か月間の語学留学が始まりました。
自分が学んでいた中国語が本当に通じない事を実感しながら、大学生ぐらいの子が大半のクラスに入り、授業を受けながら好きに課外活動などをして過ごすという楽しい10カ月を過ごしたのでした。
ただ、日本へ戻る時点では自分が思っていたほどには能力を伸ばせなかったなと思います。
この留学の時のことはどこかで別に書くとして、ここで上の項で「今思えばこの時ダメでも応募してしまえばよかった!」と思ったのか記載します。
私はそもそもコツコツとやり続けられるタイプではありません。
目標があったらそれを奪取するために頑張るタイプです。
なので、1年間遅らせたことで、中国語を身に着けることそのものよりも、奨学金をいかにとるかの方に目標がシフトしてしまい、それを実現させたことでモチベーションが下がった状態になってしまったのです。
またこのころには仕事も再度忙しくなって、毎週ではないですが土日もない、家に帰ると午前様という状態で仕事をしながら勉強と奨学金取得の準備をしていたので、物理的に相当疲れていたというのもあったかと思います。
その状態で中国へ渡り、かなり燃え尽きながら中国生活を送ることになりました。
もしこれが情熱がすごくあふれていた1年前に勢いで行っていたらまた違った結果になったのかも?という気がしています(知らんけど)。
またもう一個伸ばせなかった原因として考えられるのは、元来私が持っているコミュニケーションの苦手さです。
やはり元来気弱で一人時間が結構好き、日本にいても友達は多くなく、友人とただ喋って楽しいみたいな感覚があまりないのです。
もちろん中国で勉強や生活をしていればそれなりに能力は伸びていきますが、楽しく中国人の友達とずっといる、先生に食らいつき続ける、という事ができなかった私は中国語を爆発的に伸ばすことまではできませんでした。
※だからと言って行ったことを後悔はしていません。中国で暮らして、中国各地に旅行もできたあの10か月間は本当に今でも私の中では大切で輝かしい思い出となっています。
中国からの帰国後、中国語にほとんど触れずの5年間
中国からの帰国後に結婚生活も始まりました。
その後は家庭生活の方がメインになり、中国語もほとんど使わないけれど、たまに中国のYoutubeを観たりするぐらいの生活を送っていました。
仕事にも徐々に復帰しましたが、日本語で行う仕事で中国語はやはり使わない。
また、自分自身の人生の軸が「自分の人生、仕事、自己実現」から「家庭での生活、家族としての生活をつつがなく送る、発展させる」という事にシフトしていったため、中国や台湾はいずれまた繋がれればいいし、趣味の一環でいいかなという感じになっていました。
そんなこんなで5年が経った今、一番最初に記載した仕事とプライベートの中間のようなイベントが舞い込んできたのです(詳しくは書けませんが)。
それを打診されたときの私の気持ちは「中国行けるのは嬉しい、でも中国語での仕事は絶対無理!」でした。
そういう反応を打診してくれた方に示すと「正直仕事そのものは私たちが英語で行うので、街での買い物の時に片言で話してくれるとか、会議の受付場所まで移動するのに付き合うとか、向こうの仕事相手と中国語でスモールトークをするくらいでいい。ついてきてもらえると安心。」とのことでした。
果たしてそれを真に受けて良い物かは分かりませんが、かなり強くお願いしてくれたので、せっかくの機会なのでお受けすることにしました。
中国語の復活&発展計画
さて、そんな風に「仕事自体は英語でするし、あなたが中国語でバリバリ仕事することはない」というようなことを言って頂いたのですが、
とはいえ、この状況でそのまま行くのはまずい。
そしてせめて一番できた時ぐらいまでには戻そうと思い、考え始めたのでした。
さて、次回は実際どうやって再度トレーニングをしているかについて、記載したいと思います。
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