このたび初めて軟骨にピアスを開けた。場所は左耳のヘリックス(耳のふち上の方)である。
耳たぶには左右1つずつ空いているし、途中、左耳にセカンドピアスを開けたこともある(今は閉じてしまった)が、さすがに軟骨の穴あけを行うのは怖くて、今回は病院を訪ねた。
今までのピアス歴、いつからヘリックスに開けたいと思っていたのか、そしてその病院をどうやって選んだのか、穴あけは実際どうだったのかを記載したいと思う。
ちなみに開けてほやほやなので、まだ全く安定はしていない。経過や安定に関する文章はいずれまた別に書こうと思う。
だが、いつもの癖で長文長文超長文、になるので、ピアスの思い出と開けるに至るまでを記載しようと思う。
ピアス歴 高校卒業してすぐに左右1つずつ、その後1つ増やすもトラブルで閉じる
ピアスというもの、との出会い
自分の母親や近い親戚のお姉さん等誰も開けてなかったが、どういうわけだか小さい頃からピアスに憧れがあって、大人になったらピアスを付けたいという思いが子供のころからあった。
それは恐らく、近所の若いお母さんの影響だろう。
自分の母親よりも4つ5つ若かったそのお母さんは、「お姉さん」という印象で周りの母親達より、子供だった私の目から見るととびぬけて若く見えた。
その女性がピアスをしていて、子供心にいつも「素敵だなぁ」と思っていた。
私の母は「親からもらった体に傷をつけるなんて!」派だったので開けていなかったし、私も基本的にすごくまじめで地味な中高生時代を過ごしてきたので、高校を卒業するまでは開けなかった。
高校卒業後左右に1つずつ、20代半ばで左に1つ増やすも、アレルギーで閉じる
だが、絶対開けようと思っていたので、高校卒業前にピアッサーを雑貨屋で買っておき、高校卒業後ほぼすぐ、自分で開けた。
その穴は割とスムーズに安定し、セカンドピアスも好きな雑貨屋さんで買って付けていたのだが、数年後金属アレルギーを発症してしまった。
それでもだましだましゴールドフィルトとかシルバー素材でアレルギーが出にくそうなものを使い続けていた。
そして、左耳にもう一個、20代の半ばぐらいに、また自分で開けた。
しかし、一番最初に開けた左右のピアスも左に追加したピアスも、金属アレルギーの影響なのか、ぐじゅっとして、気が付いたら閉じてしまっていた。
20代後半、皮膚科で左右1つずつ開けなおす
それからしばらくして再度、今度は確実にアレルギーの出にくい素材を扱っていると謳う皮膚科で左右に1つずつ穴を開けた。
今もこの穴を使っている。
だが、一番最初に開けた穴の残った傷との兼ね合いか、ちょっと穴が縦長に延びたように見えてしまうのだ。
これが少しだけ後悔している点だ。
もしかしたら、どこで開けてもこうなっていたかもしれないのだが、もし次何かで開ける機会があるのならば、今度はピアスの場所などのアドバイスもしてくれる病院にしようと思った。
軟骨ピアスとの出会いと思い出
さて、上記でも少し書いたが、私はどちらかというとまじめで地味めな性格同様、そういった服装を好む方だったし、髪色も明るいトーンよりは黒髪を好んでいたし、全体的にシンプルでクラシカルなものが好きだった。
なので、20代のころは軟骨に開けようなんて思ってもみなかったのだが、どこでその発想が生まれたのだろう?と記憶をたどってみた。
20代のころの職場の先輩
20代で初めて働いた職場の先輩、といってもその部署へは私より後に来た方なのだが、
職場での服装はいつもシンプルだったが、いつも少しだけピリッとしたアクセサリ―や持ち物を持っていた。
彼女がピアスが好きで、耳たぶにも複数、トラガスやヘリックスにもいくつか付けていて、それがかっこよかったのだ。
たしかおへそにも開いていて、それをこっそり見せてもらったこともある。
どちらかというとお堅い部類に入る職場ではあったが、服装のコードはそこまで厳しくなかった、しかし業界的にも派手な人はいなかった。
なので、彼女もそこに合わせて抑えめの服装や、ピアスもあくまでシンプルな物の重ね付けだったが、それでも佇まいが素敵だった記憶がある。
2つ目の会社の職場の後輩
2人目は2つ目の会社の後輩。年齢的にはほとんど自分と変わらなかっただろうか。
ある時見慣れない位置にきらっと光るピアス(確かチャームが付いていてヘリックスの位置からチラチラと揺れていた)があったので「あれ、そこ開けたの?」と聞いたところ、
「はい、自分の30歳になる時の記念として開けたんです。」と。
その職場もどちらかというとお堅い職場で、その子自身も小柄で可愛くて、でも服装はシンプルだったのだが、
そのシンプル可愛い後輩の女性とヘリックスから揺れるピアスとの印象がとても合っていて、「あら素敵、この一つがとてもアクセントになっている」と思ったことを覚えている。
結婚式を担当してくれた美容院のオーナーの女性、60代後半
3人目のカッコいい軟骨ピアス女性は、私たちの結婚式で美容全般を担当してくれた老舗美容院(老舗だというのもあって全体的に落ち着いて年齢層の高い美容院だった)のオーナーさんだ。
おそらく当時60代後半にはなっていただろうか。
ほっそりしていて、ピシッとした黒い服を身にまとい、素敵なグレーのショートヘアだった。
美容の仕事だからか、手や首などにアクセサリーはほとんどつけていなかったのだが、
ただ一つ「インナーコンク」と呼ばれる位置に、銀色(あるいは透明の石だったろうか)に光るピアスを付けていて、それがたいそう格好よく見えた。
軟骨のピアスって、若くて少し尖ったものが好きだったり、やんちゃ目な仕事(なんだろう、クラブとかDJとか?)についている人だけじゃなくて、
こんな上品なご婦人でも似合うんだ!
むしろ、こんな素敵で上品なご婦人に、ひとつピリッとしたスパイスを与えてさらに特別感を与えてくれるものでもあるんだ!
と新鮮に思ったことを覚えている。
なんで自分でも開けたいと思った?そしてなぜヘリックスを選択?
ヘリックスという結論に至るまで
さて、では自分がなぜヘリックスを開けたいと思ったのか。
30歳過ぎぐらいまではもう一つ耳たぶに、かつて閉じてしまってその後開けていない左耳の追加ピアスを再度開けようかなぁと思っていた。
しかし、その時自分がもっていたピアスや、好きなピアスとのコーディネートを考えると、上品にまとめられる自信があまりなかった。
ここら辺、もう少しうまく言語化出来たらいいのだが、とにかく何となく耳たぶに複数付けるというスタイルが自分に合わなくなってきた気がした、という事だろうか。
もう何年も前から、8~9mmぐらいの真珠やもっと大きいバロックパール、直径3センチ程度のフープピアス、「真珠の耳飾りの女」が付けているようなイメージのフレンチフックにバロックパールやビジューのついたピアスを好んでつけているのだが、
もうそれは左右一対で成立してしまっている気がして、追加で耳たぶには必要ないなぁと思うことが増えた。
ただそれと同時に、年齢が上がってきたことも関係しているのか、「地味で無難」なだけの格好だけではない、少しピリッとスパイスを効かせる、みたいなことがしたくなってきた。
それと同時に、先ほど記載した先輩や後輩、そしてオーナーさん等のカッコいい姿がふと脳裏に浮かんだこともあり、「やっぱり開けてみたいかも…」となったのだ。
とはいえ、トラガスやインナーコンクは目立つし、開けてうまく行かなかったときの傷跡も残りそう、なので開けるならヘリックスだろう、というのはあまり迷わなかった。
最後の一押しは「やりたいことはどうせやる」いつやるかだけが問題だという事に気が付いたから
ただ、ビビリで考え出すと長いのが私だ。
そこから実際に行うまで5~6年。
どちらかというと地味クラシカル、たまにカジュアル、シンプルイズベスト!今後は上品に年取っていきたい!な私が軟骨ねぇ…
と、誰も気にしないことを悶々と考え、そうしているうちに別の予定が入り考えるのを止め、を繰り返しているうちに今になった。
まぁそんなことをずっとしていたのだが、この数年、猫を飼い始めたり、欲しいと思ってイメージしていたバッグの理想形を探し出して購入したり、やりたいと思っていたインナーカラーをやったり、色々やって勢いついている時期だったというのもあるし、
まぁそれが最低限出来る金銭的な余裕も少しだけ出てきたというのもある。
だが、最後の一押しは、冷静にここ数年、あるいはもう少し長いスパンでみると10年弱ぐらいの事を思い出して、
「私やりたいと思っていたことはやらないと気が済まないタイプなんじゃないか?留学も猫も髪の毛もお茶の勉強も、たとえ理想的な形でなかったとしても結局はやろうとするじゃん。結局いつやるかだけが問題なら、今でいいな。」と思ったことである。
次回 病院を選んで開けるまで
「やっぱもう開けよう。」と決めてから、次は病院探し。
それはまた次回記事で記載しようと思う。
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