猫を飼って疑似体験する誰かの親の気持ち 

猫に関する事

 猫を飼って私はいわゆる親の気持ちを少しだけ疑似体験している気がする。

 夫も、「自分が主体となって何かの世話をする」という立場に初めてなって、少し大人になった気がする。

 我々夫婦には子供はおらず、2人ともアラフォーといわれる年で、結婚生活はだいたい5年程度。

私の事 

前提となる話、私が感じている親との関係

 子供は作らないと強く決意しているわけでもないが、私には子供を産んで育てる事に少し抵抗があり、努力して作るつもりも今日時点ではない。(そしてもう年齢的にも難しいんだと思う)

 なんで子供が欲しいとか手放しで前向きに思えないかというと、私の産まれ持った志向性?とでもいおうか、そういうことも大いに相当、むしろ70パーセントぐらいはあるんだろうけれども、

 親との関係性が理由になっている面もゼロではないというか、産まれ持った志向性が70パーセントという事は、30パーセントぐらいはあるんだと思う。

 (ちなみに同じ親から生まれた私の姉妹は今どきで言うと子供多めと言えなくはないぐらいの数の子供を産んでいるので、やはり産まれ持った志向性なのか?)

 親子関係というのは難しい話で、各家庭、さらにいうと同じ兄弟ですら感じ方に違いがあるし、千差万別炎上上等…というかまぁとにかく炎上しがちで難しい話題ではあるので、読んで黙ってはいられない、あるいは自分の傷がえぐられる可能性のある方は、私に何か言いたくなる方は回れ右してほしい。

 きちんと、いやかなり丁寧にお世話もしてもらって、大学まで通わせてもらい(しかも実家から出ての大学生活)、相当幸せに育ったと思うんだけど、感情的には相当色々あった。

 小さいころから私は母の八つ当たり先でカウンセラーで、たまに暴力も受けていたし(時代的に今ほど厳しくもなかったのは事実)、

 母の子供のころからの自分の育った環境や親に対する恨みつらみと、私たちを育てる子育ての大変さ、自分が子供のころしてほしかったことを精一杯、自分の時間もお金もすべて犠牲にして頑張って子育てしているのに、思ったようには子供が育たない辛さ、

 それを私は物心ついて数年後から(つまり幼稚園生くらいから)時には1時間2時間では済まないくらい聞き続けており、10歳以降20代までは自分が産まれてきたことと生きていることに罪悪感を持ち続けていたし、

 妹たちがうまくいかないことについては母から「お前のせいだ!」となじられたりなどしていた。

 私に何か喜ばしいことが起きれば、それは母の手柄であり、失敗したり世間的に褒められない結果になればそれは私が産まれ持った性質がなせる業で、

 「こんなに手をかけて育てているのに、この体たらく、出来損ない」それが私だった。

 (母がこの通りに思っていたかは分からないが、私はそう受け取っていた。「産んだのは間違いだった、お前はもう失敗したからどうでもいい」は言われていた。そしてこれらの言葉を言ったところで強い子は傷つかないから、気にするとしたら私が単純に弱すぎるせいだそうだ。)

 確かに母は恵まれた環境で育ったとは言えない、苦労人だし、まじめな努力家で本当によく頑張って自分の力で生きてきた人だと思う。

 そして実は割と要領よく何でもできるので、時代や産まれた場所が違ければ違う人生になっていただろうとも思う。

 だが、それで私自身が投げかけられ続けていた言葉を「しょうがないよね」と流せるほどには私も人間出来ていないのだ。

 と、ここまで母の事ばかりを書いてしまったが、40代に近くなって結婚もした今、父は???って思う事もある。

 父は私にとっては心の支えで、家庭の中では安全地帯だった。父が仕事から帰れば、母から激しく怒られたり、ねちねちねちねち何時間もやられることはない。

 父とは建設的な話ができるし、色々なことに興味関心があり、専門的な職業についてそれを全うし、知的な話ができる。父と話している時間は楽しかった。

 でも、それはあくまで娘である私にとって「父」だからで、夫だとしたらまた違うかもしれないと、この数年よく思う。

 もちろん時代の違いも大いにあるだろう。だって、両親が結婚したのって40年前だもんね。

 細かく同時代が違うからとか書き出すと、あと100記事分くらい書かなくてはならなくなりそうだけど、というかそこまで社会学とか歴史の知識もないし、そこについて今学術的に論じる気力もないけど、

 でも結婚して思うのは、母はきっとやりたくもない事もお嫁さんはこういうもんだと、盆暮れ正月夫の実家に帰ってエプロンして台所に立ち続け、子供の世話と夫の両親の相手をし、楽しいこともないわけじゃないけどストレスで便秘になり、みたいなことやって、でも夫である父に逆はなくて。

 子供たちのお世話をするのも、母親の役割だったから、あんまり得意じゃないと思っている料理を毎日毎日作って(本人が得意じゃないと思っているが、うちの母は普通に料理が上手い、むしろ上手である)。

 やってもやっても終わらない片付けと洗濯をずーっとやって、やりたいこととか趣味とかはそのうち忘れてしまって。自分の楽しいことも何だったか忘れてしまって。

 こんなに義務と責任感で嫌なことたくさんやっているのに…という鬱屈した気持ち、というか当時は母自身はそれを嫌々やっているとか、義務感がとかすら思っていなく、ただモヤモヤとやり続けていたそれが、私への八つ当たりと、恨みつらみうまくいかないことや心のドロドロモヤモヤを娘に語って聞かせることにつながったのだろう。

 という気がする。

 まぁ、そんなこんなで私はねじれて臍まげているだけではなく、実際今思えば完全に精神的な病の入り口に足を踏み入れていた10代20代だった。(当時結構やばい症状はあって、大人になってからかかった精神科で「けっこう危なかったね」等と言われたりなどした。)

 そこからしばらくたって結婚したが、子供を産み育てたら、すでに語られすぎて私に内在化されている母の黒いドロドロしたつらい気持ち、その時私が感じていた気持ち、そして子育てで感じる苦労、3重に黒く辛い気持ちを再体験するのがどうしても怖いし、できれば忘れたいのだ。

 私の姉妹はすでに子供を産んでおり、私には甥や姪がいるわけだが、そして私は彼らを溺愛しているわけだが、彼らが可愛いという気持ちは、私の恐怖を越えられないみたいだった。

 (なーんてかっこいいこと言ってみたけど、ま、単純に人の面倒見るほど色々できないっていうのもあるけどねー。すぐ部屋を腐海の森みたいにしちゃうし、よく生ごみ腐らせるし。)

 まぁ、でもこういう経験が、私の強烈なプライドの高さ(本人的にはそう思っていなかったけど、カウンセラーに言われた)と相まって、得られた特殊な経験もあるし、

 やっぱりなんだかんだきちんとお世話して育ててもらって、健康な体があり、

 仲良し親子♡ みたいな関係からは程遠いが、スープは冷めまくる距離(真夏だと一番早い交通機関を使ってもワンチャン腐る)で、毎日ではなくとも頻繁にファミリーラインで誰かしらがつぶやき、お互いの近況はなんとなく分かっている、そんな家族関係があることは、本当に本当にありがたいことで幸せな事だと思っている。

 それに、この距離を保ちながらなら、年に何回かは会いたいし、いつまでも健康でいてもらいたい。

タイトル回収

 さて、ここで話はタイトルに戻って、どうやって猫を飼う事から一般的な親の気持ちを感じたというのか。

 前提が長くて頭でっかちな話で、落ち回収にはならないのだが、うちのシャムミックスが猫風邪をひいたのだ。

 2匹を引き取って約3週間後、彼らの2回目のワクチンを打ちに病院に行った(1回目は保護主宅にて)のだが、

 シャムミックスの子がその数日前からくしゃみをしていた。鼻水もうっすらとにじんでいた。

 まーでも、ホコリで鼻むずむずしているのかなと思っていたのだが、診断は猫風邪。熱もあった。

 茶トラは風邪をひいていなかったので、その場でワクチンを打ってもらったが、シャムミックスは薬を飲んで経過観察。

 先生曰く「まだ2キロもない小さい体で、風邪で弱っているときにワクチン打つと、一気にぐっと悪くなったりする。ワクチン打ちたかったと思うけど、今は風邪直す事に専念して」とのこと。

 そして1週間お薬を飲ませ、もう1週間後再度病院に行ったのだが、数時間に1回のクシャミはまだ収まっておらず。

 「もう1週間治療と様子見」との判断となった。

 その間も、ちょっとやはりぐったりアンニュイにしている時もあって、すごく心配で心配で、ぐったり寝てたら「元気がない」、

 激しく遊んでいたらいたで、「こんなに興奮してまた熱上がったり具合悪くなったらどうしよう」。

 お薬もごはんに混ぜて食べられたらよかったけど、うちの猫たちはムラのある食べ方をするので、直接ものすごく嫌がられながら、シャーシャー言われて爪も立てられながら無理やり飲ませた。

 それでも長引く風邪に、夫と二人「何かあったらどうしよう、元気になってくれるかな」等と話しながら毎日無事であるよう祈りながら仕事に出かけていた。

 この、2キロに満たない生き物の生存を自分たちが左右してしまうかもしれないという心配、祈るような気持ち、

 仕事やほかの用事をやりくりしての病院通い。

 「目に入れてもいたくない、可愛い、毎日写真を見たい。」という湧き上がって止められない気持ちは甥や姪で経験しているが、

 この責任感や心配、自分の判断がこの子の命を握ることになるかもしれないという気持ちは、今初めて実感を持って経験しているかもしれない。

 憎まれ口と愚痴ばかり出てくる子育てなんて、人生に何もプラスにならないどころかマイナスですらある。

 という印象を特に母から(遠巻きには父からも)私は得ていたわけだが、猫を通して感じた気持ちは、両親からの子育ての印象を少し変えるものとなった。

 うん、たいして回収できてないけど、とにかくそんな感じ。

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