猫を飼って少しだけ変わった夫の話

猫に関する事

 さて、夫婦二人暮らしの気ままといえば気ままな生活をしている我々ですが、人並みにまぁ色々あります。

 感じ方は千差万別だろうけれども、私から見た「猫を飼って少し変化した夫の話」を少し書いてみたいと思います。

 旦那が悪いとか、なんだかんだマシだとか、私がどうだとか言う話は、まぁ置いといてください。

 あくまで私から見た世界の話なんだということで。

前提となる夫の事

 夫は専門的な仕事をもち、それに対してずっと真摯に取り組み、飽くことなく勉強を続け、ストイックに…いや本人はストイックとか頑張っているとすら自覚がなく息を吸って吐くように学び続け、必要があれば全くの専門外の知識もどん欲に取り込む。

 私も職業人としての夫はリスペクトしているし、そんな風に天職といえる仕事に就いて続けているのはうらやましくもあるし、それを勧めて実現するために金銭的にも環境的にも支えた義母もマジですごいと思う。

 だが、彼は生活者や情緒という意味ではけっこうめちゃくちゃだと思うし、周りは彼を人として独立できるように育てようという発想があまりなかったようだ。

 あまり細かく個々の出来事を書きすぎると本人のみならず義母や周りの家族まで名誉棄損になってしまいそうなので、書かないというか書けないが、

 とにかく、彼を支えてくれていた義母や周りの人が優秀すぎるのもあってか、仕事以外のすべての事は蛇口をひねれば水が自動で出るのと同じレベルで、「自分が感知しなくていいこと」というのがベースにあるようだった。

 家事をしないとか、そんなことではない。

 銀行の手続きも、税金のことも、本人のローンの手続きも、私発信ではなく義母がやりたがった結婚式も、自分の周りの人間関係も、友人関係ですら(それってむしろ友達なのか?)、そして自分がかつて始めて投げ出した事(書けない…)も何もかも「俺には関係ない。やれる人がやったらいいじゃん?」で押し通してきた。

 その結果、結婚直後の私は自分の事ですらしたことのない手続きに関して、

 委任状を作りまくっていつも彼の手続きをしていたし、各方面に謝ったりお礼を言ったりをし続けて疲労していた。

 後で知ったことだが、義母も「やらせるよう教えるほうが大変だから」とやらせようとはしてこなかったそうだ。

 家事は正直どうでもいい。やってくれたらありがたいけどそんなことは小さいことだ。

 困るのはやはり生活に関する手続きや、

 彼の周りの人間関係のメンテナンスで(彼が個人的に飲みに行くのはめんどくさいけどつながりは保ちたい友達との交流や、彼が始めて投げ出した事で親戚が被った迷惑に対するフォロー等)、私を巻き込むというか、なぜか私が主催して実行せざるを得ないこともいく度もあったし、

 なぜか「あなたがやってくれれば丸く収まる」と周囲から言われて、代わりに自分の本意ではない事をやらなければならないことが多々あった。

 生活にお金がかかるという事も全く分かっておらず、自分の稼いだ分は欲しいものを買う、おごる以外の使い道があることをおそらく分かっておらず、

 一人暮らしをしていたのでどうにか家賃と光熱費は自動引き落としになっていたが、二人暮らしをし始めたときに生活費の話がどうしても理解してもらえず(当時私は引っ越しもあり離職していた)、私のなけなしの貯金は半年ですべて尽きた。

 特に手続きや人間関係のメンテナンスについては、そんなこと、やってあげなきゃいいじゃんと思うかもしれないけれど、いろんな人間関係のバランスの中で、結果的にやらざるを得なくなることもあるのだ。わかってくれる人も日本のどこかに入るだろう。

 義理の実家との濃ゆい付き合いも、義母がとても良い人で、付き合いはありがたいけれども、

 私が実家から出て今までの約20年で実家の家族といた時間より、結婚してからの5年弱で義母や義理の家族と過ごした時間のほうが既に長いレベルで密で頻回の付き合いをしているし、義実家のイベントでたくさん休みを使ったり、何日も前から準備に奔走したり、

 やっぱりいくら付き合いがありがたいと思っていても、気を使いながら、色々な予定を少しずつ調整して応える等、ちょっと頑張っちゃったりなどもしたのだ。

 そして夫は何も手伝わないどころか「やりたくなければやらなきゃいいじゃん、俺関係ない」と言い、義母も「あの子がこの場にいてくれるだけで成長」というスタンスだった。

 同じことを逆でしてほしいと言っているわけではないが、何かの記念日等年に1回2回あるかないかの私の家族との付き合いに参加してくれるようかなり前からお願いしても、

 ほかの予定を平気で入れてしまって、「俺関係ある?」と平気で言ってしまうのが彼だ。

 悪気がないのがもっと悪いという気もするが、とにかく悪気がなく自分がちょっとでもめんどくさく感じることは誰かがやってくれるのが当たり前で、それが生活していくのに必要であることが意識にすら登らないで、いつの間にか片付いている。そういう人生を歩いてきたのだ。

 具体的な事をもっと書き出せば色々切りがないのだが、ぼんやりこれくらいにしておくとして、とにかく生きることすべて周りがやってくれていたのが当たり前。というある意味超オールドスタイルだったのだ。

猫を飼ってどう変わったか

 さて、こんな彼なので猫を二人で飼う事に最初は心配しかなかった。

 私が面倒見れるとはいえ、どうしたって私がダメなタイミングはあるし、彼自身が熱望した猫との暮らしを「俺関係ないよね?」と言われてしまったら、私は猫を選んで彼を捨てる、あるいは心の中で彼を亡き者にする決意をしてしまうだろう。

 ただ、この5年弱の生活で、徐々に自分も生活をする当事者という感覚を得ようとしてくれるという実感があったし(これはひとえに私もポンコツで、二人でグダグダになった結果二人で学ぶみたいなタイミングも多々あったからだろうが)、

 何より、私の人生に猫が登場しないで終わるのが嫌だった。

 この5年をかけて、彼は、動物を飼うという事はどういうことなのか、いろんな人や家族、特にうちの実家の事例を通して、また彼自身の過去の行動(かつて別の動物を飼っていたことがあるのだが、案の定面倒見切れず養子に…具体的には書けないのでフィクション入ってます)を通して、ゆっくりゆっくりと学んでいった。

 という長い流れの中で、ついに猫を迎えた。

 そして彼は、初めて自分が面倒を見る立場になった。

 もちろん私も、なんだったら少し多めにお世話をしているが、

 私は、彼が仕事以外の生活に関する事でほぼ初めて自分事として、自分が主体者の一人として生活に参加しているという姿を初めて見た気がする。

 いままでも、ちょっと皿洗いをやってくれる、ゴミ捨てをしてくれるという事はここ数年でしてもらえるようになったのだが(正直言うとしてもらいたいことはそこではないのだが…やってもらえることは大変ありがたく受け取ろう)、あくまで「お手伝いした!俺やったんだから、それに対してありがたがって褒めてよね!」という姿勢は崩さなかった。

 その彼が、猫は自分が世話をするべき存在で、それは自分が主体的にやる事だ、

 と、私と同じ目線で感じてくれている、この感覚がうれしかった。

 なんというかお世話する存在を通して、彼自身が少し大人というか、生活をしている人間?社会人?になった気がしている。

翻って私の事、そして夫婦の事

 まぁ私も、色々なことがきちんとできない欠陥人間だという自覚はある。

 その私が夫との生活で得たものもあるけれども、失ったり、絶望した時間も多かった。

 でも、うちに来てくれた猫達のおかげで、私も夫も二人とも変化があったした気がする。

 成長というとわからないけど、また別の発達段階に入ったというか。

 そんなこんなで、私はうちに来てくれた可愛い可愛い2匹の猫達を大切にしながら、日々幸せを感じながら過ごしたいな、と思う。

 そんな感じです。

 

 

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