唐突にあるYoutuberさんのオフ会に参加する
さて、今どき?というか、最近たくさんの人にとってYoutubeを見ることが日常生活に溶け込んでいることでしょう。
私も御多分にもれず、ただエンタメとして楽しんだり、情報収集のために観たり色々な見方をしています。
たくさんのチャンネルを登録していますが、その中の10名程度のyoutuberさんの動画はほぼ毎回見ており、
そのよく見る中の1名のyoutuberさんが「東京に来るので小さくオフ会をする」というお知らせを出しているのを発見し、「参加させてください!」と手をあげ、参加してきました。
当日はその方と私のような視聴者7名で、都内の庶民的なお店でワイワイご飯を食べ、動画やそれぞれの日常について色々な話をしました。
そのyoutuberの方は女性で、私よりも少しだけ年上、現在外国に暮らしていて、子育てをしながらその土地の美味しいお食事紹介動画(vlogっぽい)を作成しています。
ここでは仮にAさんとします。
Aさんの動画を偶然見つけたのはそんなに古いことではなく、半年から1年前くらいの事でした。
とある地域に旅行で行きたいなあと思い、その地域の紹介をしているチャンネルをいくつか探している中で見つけました。
一名の単価が高い名店も惹かれますが、私はどちらかというと、ローカルで古い風景のなかで営まれている食堂の動画に目が行ってしまいます。
結婚して以降義母のお付き合いで有名店や高級店に連れて行っていただき、そこがどれだけおいしく洗練されているかという事を知る事ができましたが、
未だにローカルで、知る人ぞ知るごみごみした場所(お食事だったらキタナシュラン的な)も好き。
昔から興味のある地域がアジアからイスラム圏、しかも古くてそこに住んでいる民族の色が強く出る町並みが好きだったのですが、やっぱりそれは変わらないみたいです。
Aさんの紹介するお店は、「ディープで郷愁を感じる風景の中にたたずむ、地元の人の食堂」そんな場所が多く、
普通に観光客としてそこに行ったら入ろうとは思わなかったかも!という場所が多数です。
「この人の食べている物、おいしそう・・・」という感想のほかにも、
彼女の「淡々とお店を紹介し、そこでおいしそうなご飯を淡々と食べ、アナウンスでその時の描写と感想を淡々と述べる」この様子が、一遍のドキュメンタリーとしても完成度が高く、観ているだけで楽しめるのです。
トンネルの中の試行錯誤
さて、このAさんのオフ会の後、彼女のとったホテルと我が家の位置がすごく近いことが分かり、お店からホテルを経由してうちに戻ることにしました。
その時にポツポツとお互いの話等をした中で、印象的だったことがあります。
Aさんは表現をしたい欲求はあったけれど、留学や仕事、結婚出産等色々な生活の変化を経て怒涛の子育て時期に入り、ますます自身の時間は無くなり、自分自身が行いたかった表現からは(自分が生きたかった人生からは、というと言いすぎか?)遠ざかり、
しかし、自分自身で納得できる人生・生活のために色々細々と試行錯誤をしていたそうです。
「子供を産むと自分の時間は少なくなるもんね」という話かというとそうではなく、
その前から、自分一人でいたときから暗いトンネルの中でもがくような悶々とした時期が長く続いた、という事です。
なんか、この感覚、分かる。
( 正直彼女の人生って、表面だけ見たら、もちろん子育てはめちゃくちゃ大変だと思うけど、私からすると憧れてしまうよう事がたくさんあるのですが。 )
自分の志向性や思いと、能力と、現状(というか流れ?)がかみ合わないまま、もどかしい思いを抱えてもがいている感じ。
周りから見たら、この時期のAさんにも今の私に対しても、経済的にとても困窮しているわけではなく、今のところは健康で何に文句あるんだ!と思う人もいるかもしれないけれど、
「苦しい」とか「辛い・・・」「どうしていいかわからない」と感じた一次感情までは否定されるべきものではない気がします。
私自身も、ブログについてのさわりのところで少しだけ触れましたが、特に仕事に関しては(というか仕事以外にも色々あるんだけど、自分の中の大きな軸の一つは職業人生であると思っている)、
自分自身の能力(ミスの多いポンコツ)と、色々なご縁で今まで積み上げて来れたキャリア(事務系だけどたぶん向いていない)、おそらくあまり向いていない事で頑張り続けた事、でもある程度進んでしまうと方向転換が難しくなる現状、
表現したい思い、自分の持っている能力(能力なんてあるか知らんけど)を「発揮するようなことがしたい」という思い、そんなものを抱えながら五里霧中の中で10年以上も手替え品替え、勉強しなおしたり留学したり、自分のキャリアを最低限生かしたうえで少し方向転換できる仕事を探す等、
結婚して以降は、家族の事も同時にやりながら、むしろ振り回されながらもバランスをどうにかとって試行錯誤しながら日々を過ごしているこの感じ。
私の周りには、「人生=仕事じゃないでしょ。旦那さんがいて最低限生活がちゃんとできるし、いいじゃないべつに奥様やってれば。自分は仕事はパートで少しお小遣い稼げば。」という事を言う方も未だにいますが、
人にとって…は主語が大きいか。私にとっては、自分の能力というか出来る事を社会に何らかの形で活かして、お金を稼ぐことは大切です。
今も少ないなりに最低限の収入は得られているわけですが、、、
収入のほかにも何らかの形で表現したいし、できればそれを収益や直接の現金にならなくても経験を得るという報酬に昇華したい。
表現がある種の報酬に直接つながらないのだとしても、サラリーマン一本で行くとしても別のところで自身の能力のフィットすることをやりたい。
という願望、欲望?がどうもうまくかみ合わない…
つまるところ、話が少し散らかりましたが、こういったことで自分自身である程度許容できる仕事や収入、あるいは別の活動での納得感を得て精神的に軸となるものを得ることが、自分にとっては大切なのです。
なんだかAさんがトンネルと表現する気持ちが、よくわかった気がしているだけかもしれないけど、分かる気がしました。
誰かのトンネルが私の希望に、その逆もまた然り
さて、そんなAさんですが、色々な表現の方法(SNSだったり文章だったり)を手変え品替え時間を見つけては行い、これは向いていないこっちは難しい、「Aちゃんこれをやってみたら?」「ええええ、向いてないよ」などというやり取りをしながらたまに人から勧められたことも取り入れつつ試行錯誤し、
ついに結果的に数年前に始めた動画の投稿が、この1年2年でぱっと花開いたのです。
そもそも問題、動画を見ても、動画を始められる前にメインで発信していたものを見ても彼女に美的なセンスがある事は明白だなと思うのですが、それを恐らく本人も気が付いておらず、モヤモヤとトンネルの中であがきながら試行錯誤していた、という事のようです。
さて、ここで思ったこととしては、このトンネルでのあがきと試行錯誤を続ける事、これが結局自分の正解にたどり着くほぼ唯一の正攻法なのかな、ということ。
文章で書いてみると当たり前田のクラッカー(いつの時代や)なことですが、
このように面前にいらして、トンネルの中での試行錯誤の末自分のの中の正解に限りなく近い状況たどり着いていらっしゃるように見える方の、トンネルの話が私の希望にもなりました。
というそんな話でした。
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